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   時代の道

 こんばんは。

「糖質ゼロ・プリン体ゼロ」 な飲み物のマズさに辟易してる とまぢふです。






こないだの日曜、台風18号が近づく さなか、地域の催し物に参加してきたよ!
「 観光資源 再発見ツアー」 ってヤツに。
下呂温泉をちょっと離れ、郊外に点在する文化財なんかを訪ね、ふるさとの魅力を見つめ直そうって趣旨のツアーにね。

普段、「下呂温泉!!」 って大々的に謳っとるけど、それ以外にも
ほのぼのとしたアレがあるんよ、下呂には。
(要は、『極めてマイナー』 な下呂の魅力を探るってゆーヤツよ。)




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あいにくの雨。 参加募集定員は 20人。
ちょうど集まって催行されたんよ。 でも、ボランティアガイドさんも 10数人ござって、
どっちが多いの? みたいな・・・。
「足場が悪い中、よお お集まりくださいました」 な挨拶もソコソコに、ワシらは向かう。




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確かに悪いよ・・・ 足場・・・。 雨も強いし・・・。
どこに向かわされるの?






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とりあえずは、「下呂石」 が噴出された、岐阜県一 小さい火山、
「湯ヶ峰」 が見えるトコに。
下呂石とは、10万年前に この火山が噴火した際 流出されてできた石で、
石器の材料としてドエライ良い性質をもった石なんよ。
4万年近い前の遺跡からも下呂石製の石器が発掘されとるけど、その場所はナンと
千葉県!!
・・・そのくらい優秀な石なんよね。
(湯ヶ峰の噴火は、『溶岩ドーム』 を形成するヤツで、噴石の飛散は無かった。
やで、千葉へは 『交易』 として移動したと考えられとる。)

そんな偉大なヤマが間近に見えるココへ来たんよ!!




















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・・・ な~んも見えりゃせん。



気を取り直いて、戦国時代の城跡へ!!




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「森城」 跡地の展望台。




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そこからは下呂の町が一望できる。
晴れとれば さらに・・・。
今日はザンネンッ!!!

でもまあ、山にかかる雲・霧が グワイいい感じやし・・・
ヨシとしよう。 天気がいい日にまた来ればいいしね。
でも、「熊スズ」 必携ッ!!















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滝に向かった。
なんか、エエ滝があるらしいんよね。
落差 20数メートルと、割と大きな滝らしい。
ホントは今日の予定には無かったけど、「付録」 で・・。



マイクロバスでギリギリな、未舗装の林道を行ったよ。
ワシ、窓ぎわの席やったんやけど、路肩が見えんくらい バス、谷のギリギリを
走って行きよった。 ホント、「落ちるかも!」 な気持ちで ビビリまくったよ!!

バスが転回できそうなトコで降ろされ、ここからは徒歩。
トホホ・・・

で、着いた滝は・・・

















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・・・ な~んも見えりゃせん。。。


今おる橋のたもとの細道をズンズン下って行って、やっと見えるんやけどね。
天気良ければ そうするけど、何しろ足場が悪い・・・。

何人かは見に降りて行ったけど、ここで待つのが吉。
すれ違い不可能な細道を行き、その先も 何人もが滞在できる広さは無い。
やで、みんなが行くのは無理!

ハァ、こんなトコ、べつにエエよ・・・。
観光資源にせんでも・・・。 滝なら 小坂の方が整備進んどるんやし・・・。
まあ、俗化されん、秘境的なアレはあってエエけどね。


次。









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「瀬戸発電所」 の隣にある公園に置いたる水車?

これは、その発電所で使われとった 「フランス式水車」 の現物。
大正13 (1924) 年に完成した、当時飛騨で最初の大規模発電所やったらしい。
今から90年前! それがまだ稼働しとるんやでね!!
(もちろん建物・設備は更新されとるけど。。。)

これが置いてある場所ってのは、「孝子ヶ池」 公園の一角。
雨は やんできた。





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この池は、孝行息子と母親の、聞くも涙の物語がある・・・。







で、ここで お昼になりました!
メシや、メシッ!!!








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・・・ 「おにぎり 3個」 と、お茶。

エエんよ! これで!!
なんつっても、「会費 1000円」 で、資料や記念品付きなんやで。


今日は会社の同僚 (60代) 今 I さんと参加しました。
二人で仲好く 公園のあずま屋で おにぎり弁当を食べました。

今 I さん、もうトイレが近うてカナワンよ!
さっきの城跡と滝では、人目に隠れてヤブに入り用をたすし・・・。

「年寄りばっかのツアーやのに、トイレの確保がダシカン!」
と、イキドおってました・・・。
それは一考の余地はあるね。





そのあと、また下呂市街地方面へ引き返すんやけど、
戦争末期、昭和20年に 汽車が脱線して死傷者が多数でた鉄橋とかも見て・・・。
そういえば あの近くにひっそりと、でも大きくまつられとったお地蔵さん? みたいなのを、
ワシは気にかけとったんよ。 そばに寄って見たこと無かったし。
それが、あの時の犠牲者を慰めるためのものやったんやね・・・。
それが知れただけでも、このツアーに参加した意義があったよ。












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下呂温泉の市街地に入る直前に懸っとる橋、「帯雲橋 たいうんばし」 。

江戸末期まで、飛騨街道の益田川 (飛騨川) を渡るには、ちょっと上流にある
「塚田の渡し」 で渡船に頼っておったけど、輸送能力が低すぎる上に、
増水時には運休になってまい、ハナシにならん。

で、明治 8年に架橋計画が立てられた。

「工事費は有志の出資、返済は 15年間の橋賃収入をあてる。用材は官林からの払下げを請う」

明治 14年に完成した。
橋が長く、川面から高いところから、「帯雲橋」 の名が付けられたんやと。
確かに、飛騨川は このドエライ下を流れとるよ!

ところが・・・

「橋賃徴収は認められず、官林の払下げも無く、工事の地元責任者6名が分担して負債を返済する」 ことに・・・。  県が負担した記録は   無い  。

難儀したやろね・・・。
いや、それどころではなかったやろ・・・。
請け負った責任者たちは。

こんな橋 ひとつにも、歴史がある。





で、その、「塚田の渡し」 に関して。




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ここの渡し場は、両岸に綱を張り、それを手繰って船をすすめたシコ。



明治維新直後、「高山県」 の初代知事になったのが、「梅村速水」 という、27歳の
若き才人。
辣腕の人物で、頭脳明晰。
飛騨に入り今までやってきたような改革を進めようとした。
でも飛騨は 超保守な土地柄。
梅村の性急な改革は飛騨人にとって 耐え難い苦痛やった・・・。

当然、排斥運動の機運が高まり、危機感を持った梅村は陳情のため京へ赴いた。
そこでついに飛騨に暴動が起きた!!

騒動を聞きつけた梅村は、京から飛騨に とって返し、今の下呂市萩原町まで戻った時に暴徒と遭遇した!  市街地で銃撃戦にもなったらしい・・・。 (萩原戦争って呼ばれとる。)

梅村は恵那・苗木藩領に逃げようとし、この 塚田の渡しに来た。
そこで、この渡し場に張られた綱を切り、追ってから逃れて 中津川方面へ逃げ去った。

が、その騒動の責任で免職。 翌 明治3年、29歳で獄中死。
騒動の首謀者も獄中死した。。。


悲しい話しではある。


こんな田舎でも、明治維新前後の激動に包まれたという事例やね。












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雨情公園 うじょうこうえん 。

「野口雨情」 を称える。
彼は明治から昭和にかけての偉大な作詞家。
「枯れすすき」「波浮の港」「七つの子」「シャボン玉」 など、2000余の詩を残いた。

下呂にも昭和13年頃に ござった。
その時に「下呂歌謡 14節」 を残いてかした。
それを刻んだ歌碑が、下呂のアチコチに建ててある・・・。





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やがてまた降り出いた雨・・・

まさに 雨情。。。











そんなコンなで、今まで挙げたのは今回のツアーのホンの一部。
ワシ、充分堪能いたしました!







この再発見ツアーで最も印象深かったのは、なんと言っても、
「時代の道」 。












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ドコ行くの?










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お、おい、 ケモノ道やがな!!


・・・ところがこれ、昔の 「飛騨街道」 なんよッ!!

いや、それでもまだ 「新しい道」 !!


昔 (奈良・平安時代) の官道 (国道) は、こんなトコを通っておった。
              ↓


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たとえば 飛騨金山から下呂を経て高山に向かうには、国道41号線が
飛騨川に沿って グニャグニャ行くようになっとる。

ところが1000年も前は、金山ー下呂間は川沿いやなしに、「山の中」 を行く道やった!
おんなじように、飛騨萩原から高山へも、位山(くらいやま)を巡る山中路。

要は、「山を登り下りする高低差はあるけど、直線的に京に向かえる」 道。
川筋ではどうしても 「橋」 が必要。 しかも岸壁も多くて危険。
特に金山・下呂間は難所やったらしい。
やで、こんなフウに山を峠をつないで行ったんよね。
       ↓

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金山から飛騨川を渡り、「和佐峠」「シッペ 峠」「久野川峠」「竹原峠」「初矢峠」 を経て
下呂へ。

今でも通れる道なんよね、この峠ら。
かつてこの峠を自転車で一度に制覇しようとしたクレイジーなココロミもありましたが、
頓挫して良かったです!!





ちなみにこの峠群、こんな配置・・・   ↓

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初矢を除いて、ほぼ一直線上にある・・・。

つまりココは、「断層によってできた」 峠なんよ!
いくつもある 山のヒダ (山脈) を、一直線に断層が横切る。
すると、そこに必然的に窪んだ部分 (鞍部 あんぶ) ができる。
それこそが 「峠」 として利用されるにふさわしい地形!

上の絵で一直線になっとるのが、「久野川断層」 。

この近辺では、「火打断層」や、「佐見断層」、「夏焼断層」・「下呂断層」 と
にぃわしい。
初矢峠は、下呂石の湯ヶ峰にもかかっとる、「湯ヶ峰断層」 の端にあたる。


・・・まあ、こんなハナシは トモカク。

なんやった?

ああ、旧道か。

とにかく昔は、飛騨川沿いを避けて、時間はかかろうとも安全な 山ん中を官道が走っとったんよ。

それを改革したのが、戦国武将の 金森長近 かなもり ながちか」 。

軍事上、「最短時間で京に上らせるには やはり 飛騨川に沿っていかねば!」
みたいなね。

というワケで 長近さんは金山‐下呂間の険峻な川筋に、あえて道を造ったんよ!!
それが今に言う、「中山七里」 。 パチパチ・・・・・・。




でも、そのあいだでも どーにもならん難儀なトコが・・・。

それが、「保井戸 ほいど」 「門原 かどはら」 の間。


保井戸って地名は元々、「歩危道 ほきどう」 から転じたという。
それくらい、交通の難所やったらしいんよね。
飛騨川が絶壁に向かって曲りこみ、深い淵になっておったとか。
「地獄淵」 とさえ呼ばれとったんやと!

そこは避けなアカンとこやもんで長近さんも、やむなく迂回して
地獄淵を見下ろす山に道を作らざるを得ず・・・。

そうやって作ったのが、「金森新道」 。
飛騨川沿いとはいえ、ココだけはどうしても山に登らねばならず・・・。

それは 「門原坂」 って呼ばれ、ながらく飛騨街道随一の難所やったとか。

でもやがて、そんな坂も、「切通し」 を作ることによって かなり楽になった。

それがココ。












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この切通し、完成したのは 江戸も末期、「天保 13年 = 1842」 年。
(あと45年くらいで明治維新!)

今ではかなり埋もれてまっとるけど、確かに手で掘り下げた切通しって判る遺構。

ここを通り抜けると・・・




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どうやろ? 幅 1メートルくらいの道が 崖づたいに向こうの方に・・・。
樹木が生い茂って、あんまり先までは行けんみたいやけど、確かに続いとるそう。
その下は・・・



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この絵ではハッキリわからんけど、ハルカ下に、現国道41号線と 「地獄淵」 が!

このいに高いトコを通っとったんやね、飛騨街道!!







その後 時代は下り、土木技術も進んで、道はもっと下の川沿いに作られた。
でもやっぱり崖っぷちの狭隘路で、やっとこさ通れるくらい・・・。
荷物を積んだ牛車や、馬、人さえも地獄淵の藻くずと消える事故が
後を絶たなんだとか・・・。


大正時代、下呂から岐阜に嫁いだ ある人が、里帰りでここを通るたんびに
オソガイ目に遭っとった。
その人が、親戚となった 「篠田電機工事」 に頼んだ、
「なんとかアソコを あんばようしとくれッ!」 って。
そこで篠田電機は、水力発電所を作り、電機でトンネルを掘る工事を始めたんやと!

・・・ところが水量不足で発電能力が弱うて、満足に削岩機を動かせなんだ。。。
シヤナイで、「兄弟が手掘り」 で 2年がかりでトンネルを掘り上げた・・・。



それが、これ、「門原トンネル」 大正4 (1815) 年。 
このトンネルによって自動車も通れるようになり、飛騨の夜明けに貢献した!


そのトンネル、もう、100年も経っとるよ・・・  ↓


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あ、「篠田電機」 は、 「篠田正浩監督」 の実家ね。 岩下志麻さんの旦那の。


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国道41号線のすぐ横 (下) にある。
このトンネルの先には 地獄淵があり、当時は木造の橋が架けられとったらしい。
現在はトンネルの外を国道が走り、その先には立派な永久橋が架かっとる。
(その下はやっぱり地獄淵。)

・・・でもこの橋、ドエライこと事故が多発するんよ!!
カーブの途中に入れられとり、橋のつなぎ目でスリップする!
冬は凍結するし! 毎年、必ず1件は事故る。 祟られとるんか?
なんつっても、「地獄」 やし。


ここをバイパスし、対岸にまで橋を渡そうって計画があったけど、民主党政権時代に
頓挫したまんま。
ゼッタイ必要やって!! 対岸へ伸ばす橋ッ!!!




では、「金森新道・旧飛騨街道」、「門原トンネル」、「今の道」 の相関的な図を。




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わかるかな?

ワッカンネーだろうな~。

シャバドゥビダバ ダバッダ~、  イエ~~イッ!

(わかるヒトだけ わかればエエ。)









ちなみに、昔の人が手掘りで何年もかけて掘った切通し、 今ではアッサリと・・・




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「濃飛横断道路・ささゆりトンネル」 へ向かう道。
ここには 「平成の切通し」 が。
江戸時代に作られたものとは比べようもない規模、そして製作時間・・・。

この保井戸・門原地区には、
戦国時代・江戸時代・大正・平成 と、「道」 だけでも語れるモノが集まってます!




以上、ショボい観光資源の元?となるかどうかワカランとこを巡ったツアーでした。

でもワシにはドエライ驚きと、新鮮な知識によって もんのすごお良かったツアーになりました!
地元・・・ではないけど、知らんトコ 多すぎッ!!

まっとイッパイ研究したいと思う旅でした!!!




































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[C3156] 勉強になりました。

 こんなツアーがあるんですね。

 下呂の森城址は、よく下呂温泉で泊まると子供とちょっとした山登りをするのですが、日頃運動不足の僕はいつもヒーヒー言って登ってます(笑)

 またその梅村氏のくだりは初めて知りましたし、すごく勉強になりました。

 もう一つ金森長近で思い出しましたが、高山市は飛騨地方では観光地でかなり儲けて?いるので、是非高山城を忠実に復元してほしいな~
 僕はあまり城に関して模擬天守などと言われるので安易に再現してほしくないのですが、高山城はかなり精密な図面や資料があると言うじゃないですか!
 名古屋城の本丸御殿なんかよりも興味あるな~
  • 2014-10-08 18:14
  • スター★マン
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[C3157] 守備範囲

 いつも通り楽しく読ませていただきました。郷土の歴史から自然科学そして『松鶴家千とせ』まで、守備範囲が広くてすばらしいです(笑)。飛騨と言えば、『両面宿儺』も有名ですが、下呂や金山のあたりにも、何か伝承等は残っていますかね?もしあれば、教えてほしいです
  • 2014-10-08 23:19
  • こま
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[C3158] 篠田監督

旧飛騨街道の峠群、あの断層線は気持ちよいくらい真っ直ぐですね。峠に立ってみるとわかります。

それと篠田監督。
加納高校出身で岐阜市芥見の出身でしたよね。
それがひょんなところで門原トンネルと関係してくるのですね。
http://www.chubudenkikyokai.com/cgi_cms_res/img_photo/df_12_41_1.pdf
ビックリしました。

[C3159] 歴史好き

スター☆マンさん、あの城跡に行かれたことがあるとは!
私でさえ初めてで、登り口も知りませんでした・・・。
それにしても、地元であっても知らないコトだらけ。
これを観光資源にして、それを成長させていくのが 私らの役目かも知れません。

梅村騒動は、私もとても興味ありますので、深く知りたいです! 
高山城の復元、イイですね! 天守閣はあったのかな? 資料に忠実に復元してほしいものです。


こまさん、「松鶴家千とせ」 と看破したのがスバラシイッ!!
守備範囲が広いようで、実は たいして知らない・・・です。 付け焼刃的に知ったコトを、
「どうや? オレは知ってるゼ!」 と喋ってるだけで、そんなだからすぐ忘れます (笑) 。

両面宿儺のハナシは、金山にもありますねえ。鎮守山にこもって、村の平和や豊作を祈ってくれた話とか。 飛騨では彼、皆に愛され慕われた善人なのです。


峠おやじさん、本当に そうですよね! まっすぐに伸びた断層線。 いくつもの峠(山の鞍部)が一直線に並んだのを見ると すがすがしさを覚えます!

篠田電機の詳しい資料を ありがとうございます!
その中で 「下呂の今井家に家庭用発電機を設置した」 とありますが、その家が、篠田家のどなたかに嫁いだ方の実家ではないでしょうか?
ツアーの解説でも、「今井さん」 が篠田家に嫁ぎ、その縁でトンネル工事をアレした・・と言ってましたから。
なんにしても、意外な結びつきを知るのはビックリで楽しいものです!

  • 2014-10-09 00:06
  • とまぢふ
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[C3160] おもしろい企画!

こんなイベントあったんですね!!
行ってみたかった〜(>_<)
下呂に住んで6年、下呂の歴史はこのブログで勉強してます(笑)
知らない事ばっかりで、またとまぢふさんの記事の作り方が素晴らしい☆夏休みの研究なら賞がとれます。
またイベントないかチェックしとります!

最近朝練?と言うなの散歩程度ですが、走っている時にとまぢふさんの職場の場所が判明しました。
見たことのあるMAJEO、剥がれたブリジストンの跡。
ずっと金山の職場だと思ってましたので素通りだったのですが、発見した時は以外と近くだったんだと嬉しくなりましたW(`0`)W
  • 2014-10-09 10:37
  • ヤマ
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[C3161] 飛騨街道

子門真人と松鶴家千とせの顔の違いが子供の頃ごちゃまぜに待ってました。

位山や川上岳に行った時に看板は見たこと有りますが、下呂からは東側を通っているのですね、旧街道好きなので色々勉強になります。

土曜日に白川の峠を走って白草で鶏ちゃんと思ってましたが、飛騨街道ポタも面白そうです。
「和佐峠」「シッペ 峠」「久野川峠」「竹原峠」「初矢峠」はロードでも走れるのでしょうか?

[C3162] 私も知らないコトだらけ。

おだてあげないで下さい。
知らないコトばかりですから。
ヤマさん、見つかってしまいましたね! 職場。 ッて、ああも開けっぴろげに公開してはね…。
このご時世、イケナイことなのかも知れません。
自転車で国道を走るのは怖いの時、対岸の道を行くことが多いものですが、そういう道沿いに建ってます、私の職場。 そのためか、会社の前を走る自転車野郎をよく見ますよ!
平日に私の会社の前を走られる時はぜひ、冷やかしに寄って下さい!!


ひこさん、「かつぎ」 ありなら、どの峠もロードOKです(笑)。
すみません、冗談はトモカク、和佐峠と初矢峠はマウンテンバイクでも無理かも。
和佐は、それこそ道なき道で、ヤブに埋もれてますから。
隣の「火打 ひうち」峠を経て、シッペ峠へ向かうのが吉です。
あと、初矢(はちや)峠は、「旧・鎌倉街道」で、石畳が残った、おもむきある峠です。クルマで走ることもできませんが、歩いて情緒を楽しむにはイイ道です。
ただ、いずれの峠も、熊スズが必要ですね、この時期。ロードで走れても。

あと、峠の詳しいコトは、「峠おやじ」さんのホームページがすばらしいです! 是非、お訪ねくださいっ!
(和佐峠などの実情もよく判ります。)
  • 2014-10-10 01:31
  • とまぢふ
  • URL
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[C3163] 昭和遺産が亡くなる前に

こうもりさん
こんにちは、泡太郎でございます
今度の台風は、祖師野直撃かも

ビニールハウス飛んでてまうかも

ほんで、急遽、計画したよ
明日、トクモサン・ジャイアン・ユキちゃん等で
昭和遺産ライドするでね
飛騨海道筋骨めぐりもしよかな

後片付け手伝うでね
(妹様に怒られるかな)
(@^^)/~~~
  • 2014-10-10 12:30
  • 泡太郎
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[C3164] っぽいですね~~

泡太郎兄さん、あいかわらずの 酔っぱらっての投稿? 感激です!!

急遽 私のトコへ来られるそうですね。
まあ、だいぶ片付いたから・・・
でも、妹どのは怒るかも・・・

筋骨めぐりは おもしろそうですよ!

そのあとワシとこで ケーチャンの予定ですか?
家主へのコトワリも無く・・・。

でもまあ、買い置きはありますのでOKです。
私は家のカタヅケで、ロクに接待できませんことを ご承知おきください。
  • 2014-10-11 00:38
  • とまぢふ
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こっちがイイと言われれば そっちにフラフラ、
あっちがイイと言われれば、またその方にヒラヒラ・・・
優柔不断な野郎です。

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